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MY FOLON

私のフォロン 柴原聡子(編集者)

2024/09/02

「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展の図録と2冊のアートブック『フォロンを追いかけて Book 1』『フォロンを追いかけて Book 2』を制作した編集者の柴原聡子。フォロンの故郷ベルギーや活動の拠点となったフランスへの取材を通して見えたフォロンの作品の背景にあるものについて話を聞きました。お気に入りの作品や取材旅行で写真家の木村和平が撮影した写真も紹介します。

フォロンが見ていた風景

フォロンの作品を初めて見たとき、柔らかな色使いにまず目を引かれたこともあって、ファンシーでかわいらしい世界観を描く作家なのだなと思いました。でも、作品の背景を知ったり、ベルギーやフランスでフォロン自身がいた場所、作品が作られた場所を実際に訪れたことで、次第にフォロンへの見方は変わっていきました。

ブリュッセルの郊外ラ・ユルプの森にあるフォロン財団、フォロンが避暑で訪ねた北海に面した街クノック、アーティストとして忙しく働いていたパリ、その後転居してアトリエを構えたパリ近郊の農村ビュルシー。取材でさまざまな場所を巡りました。私自身、ヨーロッパに行くのが久しぶりだったこともあって、とにかく風景に圧倒されていました。木村さんもそうだったらしく、『フォロンを追いかけて Book 2』に収録されている写真は旅人のような目線で、見るものすべてが新鮮で、ちょっと現実味がない感じが出ていると思います。

ビュルシーでは、フォロンが手掛けたステンドグラスがある教会にも行きました。11〜12世紀頃のロマネスク建築の教会で、鍵も「ドラクエ」に出てきそうな嘘みたいに大きなもので……。当たり前のようにそういう建物が日常にあるという、ヨーロッパの歴史の厚みを感じました。フォロンはそんな風景を見ていたのですね。

それから、古い農家を改築したアトリエで、最初の結婚相手でアーティストのコレット = ルネ・ポルタルさんとお会いできたことは、フォロンの人物像への理解につながりました。90歳を超えていらっしゃるとは思えないほど記憶が鮮明で、フォロンとの思い出を本当にたくさんお話くださったのです。二人がパリからビュルシーへ移住したのは、1968年の五月革命の最中。パリでは道に火炎瓶が飛び交っていたし、家の中まで催涙ガスが入ってきて窓を開けることもできない状況だったそうです。フォロンは反戦、環境、人権など社会のさまざまな問題に対して、作品によって積極的に応答したことで知られています。コレットさんの話を聞いて、フォロンは本当に社会のさまざまな問題に直面する状況の中で生きてきたことがわかりました。幼い頃に戦争があったこともきっと影響しているでしょうし。フォロンが見た風景やさまざまな経験からフォロンの考えが生まれ、作品になったということを実感しました。

コレットさんには『フォロンを追いかけて Book 1』にも寄稿もしていただきました。パリの家は彫刻家のセザールから借りたと言うし、著名なアーティストやアニエス・ヴァルダやジャック・ドゥミといった映画監督とのエピソードもたくさんあり、フォロンが1960〜70年代のアートやカルチャーシーンの渦中にいたということがわかりますし、また当時の貴重な記録にもなっていると思います。

柴原聡子が選ぶ「私のフォロン」

無題
n.d.
シルクスクリーン

「フォロンの作品で強く印象に残るのが、ブルーです。吸い込まれそうなグラデーションは夜明け前の空を眺めている時の色味そのままといった感じで、見ているだけで心が澄み渡ります。本人も好きな色だったようで、フォロン財団の車も青い作品のラッピングカーになっていました」(柴原)

提供=柴原聡子

フォロンを追いかける旅の断片

写真=木村和平
『フォロンを追いかけて Book 2』
(ブルーシープ刊)より

「アトリエに行った帰りに木村さんが撮影した、地面と空だけが広がるビュルシーの風景。地平線が描かれた作品のモチーフのようにも思え、フォロンの視線を体感できた感がしました」(柴原)

柴原聡子 クリエイティブ・ディレクターのアシスタント、設計事務所や国立美術館広報を経て、2015年よりフリーランスの編集・執筆・企画・広報として活動。主にアートと建築の分野で、ウェブサイトや書籍等の編集およびプロジェクトのマネジメントを行う。2020年、アートプロジェクト「住むの風景」を始める。newabitations.com

©Fondation Folon, ADAGP/Paris, 2024-2025